前回、百姓たちの民主主義、経済的自由、豊かさについて
述べた。この民主主義についてもう少し書いていく。
なお、当たり前のことだが、江戸時代は地域、藩によって千差万別であり、全体として幕府直轄領はのんびり、ほかにも加賀藩や会津藩など、善政で知られた藩がある一方で、薩摩藩、長州藩などのようにどちらかというと悪政の藩もある。全体としてどっちが多かったのかはわからないが、私が書いているような民主主義がかなりひろく成立した時代であるというだけでも、江戸時代に対する見方は変わるのではないかと思う。
◇ 名主は自分たちで決める
一般的には名主とは「本百姓の中から村役人を決め、村の政治を任せて年貢の配分、徴収、治安の維持に当たらせた」とされ、いかにも幕府支配機構の末端に組み込まれたように書かれる。
しかし、幕府は1713年に
永代名主制度を廃止し、名主の世襲を禁止する。その結果、新潟県のある村の資料を見ると、以下のような取り決めが出てくる。
一 任期3年としているのに5年、7年と名主をやめない者があるので、今後は3年を厳格に守る。もし、お手盛りで年月をのばす名主がいたら名主給米は渡さない。
一 いかなる寄り合いも飲食・飲酒は一切無用。飲食がなされてもその払いを村では行わない。
一 名主が奉行の見送りに行ったときに幕府から渡された旅費は少額であっても、いったん村費に納入することとする
表向きは奉行所が任命するような形になっているため、名主の中には、奉行所に鼻薬をかがせて任期を延ばすという者が出てきたのだろう。しかし、実体はしっかりとした民主主義になっていることがわかる。
なお、百姓の中から選ぶといっても最初は有力百姓(長百姓)の中から選ばれていたらしいが、平百姓達が文句を言い出したため、奉行所は話し合いを取り持ったようである。そこで、長百姓と平百姓の一年交替、という話になるが、そのうち、完全な民主主義に変わっていく。奉行所は、村人達の丸く収めることだけを考えていて、かなり弱腰である。その結果、かなりの程度
村は自治を享受していたといえる。
もう一つ大事なのは、名主に対して「名主給米」という、給料を村の「公費」から支払い、もし民衆の意志に従わないなら払わない、としていることである。
権力の行使は契約によるものであり、守らなければ政府を取り替える、ジョン・ロックの思想が、現実にここで行われていた、もちろん小規模ではあるとしても、現実の制度になっていたことは注目すべきである。
なお、この取り決めをどのように守らせていたのか、それはおそらく村八分である。村八分というと身分的拘束というイメージが強いが、実体はかなり民主主義的なものといえ、また手段も経済制裁が中心であったようだ。中身を見ないで、封建的と決めつけるのは間違っているのかもしれない。
私は個人的に立憲主義はただのダマシと
思っているので、小さい単位での民主主義の方が、大統領を直接選挙するから俺たちの国は民主主義、などと思っているよりずっとよい。
◇ 江戸時代の法制
どうして、幕府の政策と現実はここまで違うのか。著者は、全体として、江戸時代について誤解してしまうのは幕府の言ったことをそのまま「法制度」と勘違いする点にあるという。
つまり、「法」というと一定の政策目標があって、体系的に整備されたものをイメージするが、それと同じ目で江戸時代に出された禁令のようなものを「こういう禁令があったから幕府はこういう法制度を整備したのだろう」と思ったら間違いだということらしい。
幕府は場当たり的、対症療法的に禁令を出しただけで、むしろ禁令が出ることはは現実はそうではないことの証左といってもよいことになる。だから、幕府の文書を調べてみても生活の実態はわからない。
江戸時代には年中「贅沢を禁止する」などの禁令が出るが、その禁令は世の中にいかに贅沢が蔓延していたかの証拠であるに過ぎず、それによって贅沢がなくなった、というようなものではないようだ。
例えば、江戸時代の公衆浴場が混浴だったことは有名だが、それを朱子学者が嫌っていたらしく、何度も何度も禁令が出されるが、誰も守らなかった。
実際、幕末に来た外国人たちも、道を歩いていたら、軒先にたらいを出してビーナスのような姿の若い女性が行水しているので面食らったような記述が「逝きし世の面影」に多数出てくる。可哀想な外国人はアダムとイブが罪を犯す前の世界なのか、邪悪な心は自分の中にあるだけなのか、などと自問自答し、苦しんでいる。
ほかにも、例えば女性の地位に関して貝原益軒の「女大学」なる書物に、女は男に従属し・・・というような記述があるから、江戸時代は女性の地位が低かったなどといったら大間違いで、当時から御用学者がいて、けしからんと絶叫していただけなのだろう(
「三くだり半と縁切寺―江戸の離婚を読みなおす (講談社現代新書) 高木 侃著」に詳しい。三くだり半は、女性が再婚するために必要な前婚の離婚証明書に過ぎず、むしろ女性の自由のために、三下り半を書くことを強制され、書くまで牢屋に入れられた夫もいた)。
◇ 江戸時代は百姓の時代--その百姓のレベルは高い
前回のまとめでも書いたが、我々は江戸時代の百姓というと、無知無学、貨幣経済もなく、ただ毎日朝から晩まで働いて、収穫期に米を持って行かれ、何の贅沢もできない最低限の生活をしていたように思うのだが、実際には全く違う。toxandriaさんのところのコメントに、当時西欧諸国の識字率が5割くらい、日本の江戸時代は8割くらいいっていたのではないか、ということが
書かれていたが、前回述べたとおり江戸時代はかなり進んだ商品経済社会となっており、文字や計算も必要だった。だから、教育も含めて世界の最先端をいっていた。
「鎖国で遅れた」というのは明治維新の略奪をごまかすために後世の人が作った、しかも何重にも間違ったタチの悪いウソであることが明らかになってくる。
明治維新以降日本が急速な発展を遂げたのは、識字率の差一つ取ってみても江戸時代の基礎の上にあることがすぐにわかる。むしろ、明治政府のような愚鈍な集団が起こした反動クーデターは進歩の阻害要因になったのではないだろうか。
◇ 明治維新でなく、江戸中期からが近代社会
私たちは、歴史を、室町(戦国、安土桃山など)、江戸、明治と分ける。もっと大づかみには武士の社会と明治以降に分ける。しかし、近代社会は江戸中期から始まるのではないか。中世の家族制度が核家族化する時代、さらに永代名主制度が崩れていくような時代、すなわち元禄前後から、日本は近代社会に変わっていくというのがこの本の視点である。
だから、明治維新は市民革命か、という議論もあるが、すでに江戸においてすべての面にわたって市民革命に匹敵するほどの変化が生じていると言える。むしろ、明治維新は優れた市民社会を暗黒の軍事独裁政権に引き戻した反動クーデターというのがより実体に即した見方といえるだろう。次回、これについて書くことにする。
読解力?判断力?推理力?
それとも当時、実行されていないから、何度も書いたあると考えるか。?
歴史的証拠は同一でも、全く反対に解釈できる。これは面白いですね。
そういえば、現福田内閣の所信表明演説で『国民の為うんぬん』が数十回もあったが、100年後の歴史研究者でも、お馬鹿の慌て者は「福田康夫は国民の為の政治をしていた」なんて考えるんでしょうか。?
歪曲しているのでは
こういう歴史は寺や旧家の土蔵などからでてくる資料を丁寧に調べていって初めてだんだんにわかってくる、地道な作業を必要とするのでしょう。今後歴史の評価も変わってくるだろうと思います。
現代もそうですね、美しい国に国民のため、美辞麗句が並んでいますが、最悪の時代です。
初めまして
「蟲師」に描かれていない事柄が特に。
人情豊かな社会
江戸時代はなにより人情豊かな社会だったと思います。人間は、条件さえ整えば自然に豊かな人情を発揮するものだと私は思っていますが、それが正しいなら、江戸時代はそうした条件が整った社会だったということになります。私たちはもはや江戸時代に変えることは出来ませんが、江戸時代から「条件」を学び取ることが出来るはずです。現代に生きる人間も江戸時代の人間も、同じ人間なんですから。
面白そうですね
条件ですね
私も江戸時代に戻ればいいなんて思いません。お金を盗んだら死刑というような社会ですから。新しいタイプの江戸時代がわれわれに必要でしょうし、十分実現可能だと思います。ヨーロッパの食料自給率を見ていれば、どうやればできるか、意外に簡単なところに答えがあるのに、私たちは明治以来のおろかな政治のために、自信を失っているだけなのでしょう。
TBです
依然として「FC2」利用の方にはTBが送れませんので、コメント欄で失礼します~。
「鈴木宗男さんの二審有罪判決に抗議する」
http://kihachin.net/klog/archives/2008/02/muneosan.html
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