先日、渡辺京二著の「逝きし世の面影」について
書いたが、そんなにすばらしい江戸時代の社会がどうやって形成されたのか、そのヒントを提供してくれる一冊である
「百姓たちの江戸時代」田中圭一著:ちくま新書について書くことにする。
江戸時代というと、御触書だの諸法度だのという幕府側の記録は多いが、それは建前でしかなくて、現実の人々の生活がわからない、そこで、著者は主に新潟・佐渡の農民の生活を、村に残った古い文書などから描いていく。
◇ 検地は百姓独立の証--所有権を認めさせる百姓のツール
一般に、検地は年貢の取り立てのために行われ、百姓が土地に縛り付けられたというイメージが強いが、実際には江戸時代には新田を開発した際、検地によって誰々の所有と登録してもらい、
土地所有が認められる制度でもあったらしい。無主物先占かつ登記(ただし、対抗要件ではなく効力要件らしい)を認める制度、それが検地だった。だからどんどん新田開発が進み、江戸時代を通じて日本はきわめて豊かになっていったという。この新田開発は江戸時代を考えるポイントの一つである。
◇ 江戸時代は前期工業化社会--工業・商業が発達
江戸時代の農民は身分が固定され、大家族の因習と支配者からの抑圧により奴隷のような生活を送っていたというのが常識かもしれない。
実際には
士農工商の区別は身分というより職分という側面の方が強く、いくつかを兼ねている人もいたし、武士も「おいとま願い」をだしてやめる者もいて、流動性があった。もちろん土地に縛り付けられるというのも必ずしもそうではなく、大名たちは、新田開発のため、他藩からの入植者を歓迎しており、来てくれれば5年間税金免除という誘致策なども横行した。次男、三男などは家を飛び出して近くで、またはよその藩に逃げ(
逃散)、新田開発をし、見地によって所有権を確認してもらい、独立する人も多かった(逃散については
「逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦 (中公新書) 」宮崎 克則 (著) に詳しい)。
百姓は、商品作物の生産、さらに自分たちで織物をする手工業者でもあったり、その交易に携わったりと、何でもありだったというのが実態という。新潟のある村では、3割くらいの百姓は土地をもたず(小作という意味ではない)、手工業をやったり、原料の買い付け、商品の売りさばきなど、村の商品生産、商品経済を支えていたらしい。
ゴールドラッシュで佐渡の鉱山が栄えたときなどは、佐渡のある村は以前たった14軒だったのに人口5万人にふくれあがり、藩主たちは勝手に佐渡に渡るなとおふれを出したがお構いなし。少なくともその地方の
百姓は経済的自由権をかなりの程度まで享受していた。
◇ 近代的な家族制度--新田開発で単婚家族が独立していく
家族制度も必ずしも封建的ではなかった。
主に次男、三男が家を飛び出して新天地で新田開発をし、新たに生活を確立する。従って、大家族制度ではなく
個人的な土地所有に基づく家族制度が発達し、現代と何ら変わらない(むしろ進んだ?)家族観があった。
そこでは、比較的対等な家庭があつまって、村掟というルールの下、自治が行われていたという。武士は領主としてその土地にやってくることはない。
『武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書):磯田 道史』という本によると、武士は「どこどこの土地を与える」といわれても、自分の土地を見たこともないという人が多かったらしい(緑のオーナーがその林を見たことがない、みたいなものか)。
◇ 税金にも民主主義--話し合いで課税方法を決める
年貢の納め方について、検見制(けみせい:毎年、役人が実りを見て作況により課税する)から定免制(じょうめんせい:一定額に固定)に変わったことがあった。
これは、佐渡の農民たちが、「役人が見に来ても、現地で接待を受けて、酒盛りして帰るだけ、こいつらまともに仕事もせず、実態もつかんでいないのに、適当に豊作かどうか決め、それを基準に年貢が決まる」と江戸に直訴した。その結果
※、幕府勘定奉行兼佐渡奉行はお役ご免(クビ)になった。
役人が、今の会計検査院みたいなでたらめをしていたのだろう。無駄遣いを調べに行くといいながら、接待を受けるばかり。帰りにおそらくおみやげと思われる「無駄遣い」を指摘して、その無駄遣いの額がほとんど会計検査院の予算と同じくらい。それで「ちゃんと仕事している」というアリバイを作る・・・。
江戸時代は民意に背くとクビになる。今とどっちが民主主義かは明らかである。
その後、佐渡では百姓の代表が一堂に集められ、課税について話し合い、税制が変わったのである。その際、幕府の役人が「じゃあこの3年間の平均作況を基準に年貢を固定しよう」というと、百姓側が「この3年は特に豊作だったから基準にできない」とクレームをつけ、百姓側の言い分が通ったという。
その後も5年ごとに同じ話し合いがもたれ、税制を延長するかどうかが議論された。暫定税率は5年しか続かないのだ。
◇ 江戸時代は進んだ近代市民社会
江戸時代は、決してイノセントな原始人が文明社会から隔絶されて自給自足の狩猟採集生活をした遅れた社会ではない。別にそんな無垢な社会に時計の針を戻そうという話をしているわけではないのだ。当時
世界有数の人口を擁した江戸という都市をもつ、文化も産業も交易も発達した民主主義国家、それが江戸時代の日本である。
江戸時代に戻ろう、なんて失礼なことを言ってはならない。江戸よりはるかに遅れた自民党政権をやめて、江戸時代のような先進社会にまで日本を高めよう、それがこのエントリーの趣旨である。
第2回に続く・・・
※ 勘定奉行の首を飛ばした百姓佐渡奉行石谷清昌が1756年に編纂させた「佐渡四民風俗」に
「百姓ども密訴差し出し候、同9月近江守殿(荻原重秀)御役御免」
とされており、百姓の直訴が大蔵大臣の首を飛ばしたことが伺われる。
参考記事
飯大蔵さんの篤姫に関する記事。NHKも知ってか知らずか江戸時代を悲惨に描き出す片棒を担いでいる。
目から鱗ですね
ありがとうございます
お読みいただいてありがとうございます。アッテンボローさんのように目にうろこのない方からまだ落ちるうろこがあるとは。
目がうろこでできている右翼の人にこそ読んでもらいたいところです。
なんにしても江戸時代、すごいですよね。よく日本は「自力で民主主義を勝ち取ったことがない」などという話がありますが、うそですね。
この本も読みました
この本も最近読みました。農民がなぜ百姓と呼ばれていたのかなど、江戸時代への疑問が解消されていく本ですね。
そして、今の日本人がどのような行動をしなければならないのか、あるいは出来るのかを江戸時代から学ぶべきですね。
おっしゃるとおりだと思います
篤姫の記事も読ませていただきました。おっしゃるとおりですね。NHK制作者も悪意はないんでしょうが、明治政権以降の教育の犠牲者なのかもしれません。 TB通ってないみたいですので、本文中でリンクしておきました。
はじめまして
いつのまにか、私のブログもブックマークしてもらっておりありがとうございました。私のブログからもリンクさせていただきます。
>一気に条約を結び、諸外国が互いにけん制しあうよう
>に立て続けに条約を結んでしまう(この老中達は安政
>の大獄で失脚する)。
日本史ではほとんど忘れ去られているのですが、開国にもっとも熱心だった老中は、千葉佐倉藩主の堀田正睦とともに、私の故郷の信州上田藩主・松平忠固でした。松平忠固は、上田藩の殖産興業と製糸産業の振興に力を入れ、上田を蚕都にしています。幕末当時は、諏訪・岡谷よりも上田の方が生糸生産が盛んでした。幕末の貿易統計を見ると上田藩産の生糸が、日本の輸出額ナンバーワンでした。
開国後の日本が貿易赤字で苦しまず近代化できたのは、一重に生糸輸出があったからですが、生糸を一大輸出産業にしたのは松平忠固の尽力が大きかったと思います。残念ながら、薩長中心史観の中で、このような老中の存在も、ほぼ忘れ去られています。
関さまコメントありがとうございます
代替案さまのところは、農業のエネルギー消費が機械化でどうなるか、という話のとき、特に感銘を受け、リンクに登録しました。
最近、江戸時代についての本をちょっとかじったので調子に乗って書いています。ほんと、恥ずかしいですけど。
今後ともよろしくお願いします。
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