
先日ふと手に取った。チカンの指をねじり上げれば女性でも撃退できる、みたいな話かなと思っていたら、全然違った。暴力の心理、特に加害者側について述べた本。著者は精神科医でもカウンセラーでもなく、もと傭兵。彼自身が暴力の極みである戦争を経験しているだけに、内容は新鮮だった。
一言でいうと、なぜ人が暴力にとりつかれるかを知れば、ある程度暴力が防げる、こういう内容である。
オポチュニストは成功する!
例えば、小さい頃親から虐待を受けた人がいたとする。そうするとすぐに「暴力の連鎖」なんて言いたくなるが、実際には本人がそれをどう受け止めるかで結果は相当変わる。昔、「オポチュニストはなぜ成功するか」という本があって、スポーツチームの監督が試合の総括をするとき、悪い点に対しては「たまたまだ、そういうこともある」、いいことがあれば「おまえたちの実力があるからだ」と楽観的な総括を続けると、チームは上向くという統計をとった本があった。
逆に一番悪い受け止め方は、著者が「シナリオライター」と呼ぶ反応をする人で、自分が被害者であり、人に傷つけられているというシナリオの中に勝手に自分をいれ、だんだん暴力的な妄想や衝動を育てていく人だという。
そういえば自分の中にもそういう衝動があったと思いあたることがある。小さい頃だが、希望が通らないとわざと可哀想な子どもを演じて、親に訴えようとしたことがあった。あなたの仕打ちはこんな結果を生んでるのよ、という手法で、結局親を攻撃していたような気がする。よくドラマなどでも、自分がとても不幸な目にあって、お母さんが悲しめばいいんだ、という攻撃や復讐の動機はでてくるが、たいてい、そういう人の中では暴力または暴力的な妄想がふくらんでいく。
クラスにもそういうやつがいた。全くいじめてないのに、ちょっと何か言われただけで自分が被害者であるというシナリオを書き始める。同時に自尊心も高かったりするので、すべて自分に対する攻撃と受け取る、ものすごい被害妄想。同時にそれはきわめて強い暴力や攻撃の芽を本人の中に育てている。やがて、ストーカーまがいのことを始めたりする。
著者によると、そういう人を見分けることもでき、例えば「今までに困ったことは」と聞くと、困ったというより困らせられた話をする。つまり、自分を被害者として語る傾向があるという。もちろん、本当に被害を受けている場合もあるだろうから、決めつけることもできないだろうとは思うが。
意外に暴力の根は浅いかも
逆に考えれば虐待などを受けたことがあっても、自分の考え方で修正可能であり、認知のゆがみを直せば簡単に立ち直れる、ともいえる。この点はちょっと救われたような気にもなる。注意されたらいきなりキレたなどという話も、意外に根は浅いのかもしれない。
暴力というのは、そういう条件反射のようなもので育てることができ、実際兵士が人に向かって銃を撃つ訓練などでもいろんな形で応用できるという。著者によると、第二次世界大戦の頃、人に向かって引き金を引ける人は、戦場でも20%ほどだった(私は以前、40%と聞いていた)が、いろんな条件反射を使ってその割合をあげていくことができるようになったという。
私の知っている近所のおじいさんは、南京にまで行った人だが、上官に死ぬほど殴られて、自分が死ぬのではないかと思うくらいになったら、中国の無抵抗の人を刺し殺すことができたという。何度もグサグサやって慣れてきたら、次に人の首を切る練習もした。やがて、今自分が何を切っているのか、人の首なのか薪割りをしているのかわからなくなるところまでやらされたという。かれは、「100人斬り?勝ったな。100人くらいなら3日ほどで斬っている」と言っていた。
軍隊の暴力と通常の暴力の違い
但し、軍隊の暴力は完全に命令の下で行われるため、暴走はない、と彼は言う。戦場の残虐行為が一部の者の暴走というのは、著者によるとウソということになる。兵士は完全に自尊心が奪われるところまで訓練され、自分の判断が働くことはなくなるという。「下っ端が勝手にやったことだ」とは、吉兆も帝国陸海軍も言いたくて仕方のないところだろうが、戦場の現実は違うという。
あと、軍隊の暴力で大事なのは、「仲間がやられた」という感覚らしい。人間に対して引き金を引くことがなかなかできなくても、仲間が「敵」にやられるという状況はものすごく大きいものだという。相手だって人間でそれぞれに愛国心を持って戦っている、という武士道はその場には一切なく、「異質な敵」に対する殺意が湧いてくるのかもしれない。「日本ヨイ国強イ国、世界ニヒトツノ神ノ国」の神兵が、自分のすぐそばで殺されたときの「異質な敵」に対する怒りはどれほどだったのだろうと今更ながら想像する。
根が深いのは人間ではなくこの社会かもしれない
ちょっと話がそれたが、結局軍隊の統制された暴力と犯罪の暴力で異なることは、自尊心の有無であるということになる。先ほどの被害妄想も、誤った自尊心教育が自分勝手な青少年を育てているため、みようによっては軍隊より統制が取れない暴力につながることになる。
この本は、「低年齢の犯罪が増えている
※1」とか、「最近の自尊心教育が間違っている
※2」という、事実に反していたり、誤った結論を導き出したりする危険のある部分もあるが、逆に暴力をふるう原因を比較的冷静に、そして自分たちにもいつでも起こりうるものとして分析し、少なくとも最近の、加害者を「異質な敵」とみる傾向に対する警鐘として読むことができる。
同時に、ここに書かれている要因をつなぎ合わせ、例えば自尊心を国レベルまで持っていって「神の国」とし、異質な敵に対する妄想を掻き立て、他国から侵略されるという被害妄想を国レベルでふくらませたかつての日本の姿を重ね合わせると、すごいリアリティーを感じる本である。
逆に、加害者に対して、とにかく許せないと復讐すること(被害者感情を助長するだけ)ではなく、その認知を変えさせる、環境を整えるようにすれば意外に根は浅いのかもしれない。むしろ根が深いのは、そういう社会にさせないとする勢力がはびこっている点かもしれない。
ほかにも色々と書いてあってなかなか面白い。
※1 低年齢の犯罪が増えている、について
戦前の低年齢犯罪というのは今をはるかにしのぐ(?)強烈なもので、「戦前の少年犯罪」を読まれるとわかります。私は八重洲ブックセンターで先週立ち読みして、衝撃を受けましたが買いませんでした(すみません)。なお、紹介しておられるページがありました。また、以前挙げたスタンダード反社会学講座でもそのことはわかります(なお、それについてのわたしの過去エントリーはこちら)。
※2 自尊心教育
自尊心教育というとすぐに「日教組」という、脊髄反射ともいえる反応がありますが、実際には全く違います。「滝山コミューン1974」を読めばわかりますが、日教組の方向性は正反対だったといってもよいでしょう(但し、「滝山コミューン」の著者は、この集団主義教育に対してはきわめて批判的)。むしろそうやって子どもたちが集団を思い合う教育が、弱者の団結を促進する危険を感じ、何とか個々に分断しようとしていたのは自民党の側でしょうね。「護身の科学」の著者は日教組がどうこうというようなことには立ち入っていません。わたしも、誤った結論を導くとすれば読者のほうだろうと思っています。
自尊心
旧日本軍が、毎日毎日、兵隊にリンチしていたのも、自尊心の無い殺人マシーンに作り変える行為だったのでしょう。
「自尊心が無い」といえば、橋下知事がNHKと遅刻騒動で喧嘩していますね。
曰く『もうNHKには二度と出演しない』と強行に主張。
理由は、『すみません』『ご苦労さん』の挨拶が無かったかららしい。
自尊心が傷ついたから、怒っているらしいが、何やら安倍晋三を連想してしまう情けなさ。
あの自尊心は、安倍と一緒で偽者ですね。多分結果も安倍と同じになりそうです。
自尊心のない
この本の理論によると、米軍の存在自体がこれらの犯罪をどこかで許容しているということになるのでしょうか。あんまりいたずらするなよ、くらいのことを言って、ガス抜きとしてある程度認めているのかもしれません。もちろん表向きはそうじゃないでしょうけど。
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