本当は、結構興味深い本を見つけたのでそれについて書こうと思っていたのだが、私の
前の記事に対する批判のトラックバックがあり、しかも「リベラルがこんなことをやっていたら誰が日本を立て直すのか?」という志のもと、3つも私のために記事を書いてくださったようなので、全くお答えしないのも無責任だろうと思い、一度だけ書かせていただくことにした。
批判者(「ツァラトストラはこういっている」さんのブログは
こちら。但し、今回の私の記事を読んだだけでもわかるようには工夫しています)
まず、批判者は『「国民負担率だけで判断してはいけない」というところまでは私も同意する』だそうだが、私の主張は違う。「国民負担率」はダマシ数字である、と否定しているのである。
次に、批判者は私の主張が「増税を主張しようとすることに対して批判するのが趣旨」と思っておられるようだがこれも全く違う。私のエントリーを読んだらむしろ「スウェーデンかぶれだ」と思うのが普通の人の感性であろう。
批判は4点にわたるそうなので、それについて書いていく。
批判の第1点・・・論理の飛躍? たとえて言えば、
スウェーデンでは100万円の給料から75万円天引きされる。日本は38万円である。これが国民負担率である。
誰が聞いても日本は負担が少ないと感じる、そういうダマシ数字なのである。で、うちに帰って、通帳をみるとスウェーデンでは53万円の給付が振り込まれていて、日本では振り込みが15万円だ。
ということは、差し引きするとスウェーデンでは100万円の給料から引かれた分が22万、日本は23万になるではないか、私の言っていることはこれだけである。
たとえて言えば、時給は安いが交通費とお昼が出て、その上・・・とトータルすると、こっちのバイトのほうがトク、という話のようなもので、表面的な高い時給に騙されるな、といっているのである。べつにそこから、「この会社の方が従業員思いである」などの飛躍した話はしていない。私が高度な結論を出しているかのように勘違いして、論理が飛躍している、という議論の方に無理がある。
批判者は「見えない受益」その他を考慮していない、これをもって高負担というのは論理が飛躍しているそうである。
私のような下世話な話をしているブログより『本当に大切なものは目に見えないんだよ』というようなテーマのブログにいって意見を書かれたほうがよい。
批判の第2点・・・大学授業料などは別負担 私は国立大学の授業料について述べた。スウェーデンでは先ほどの22万円以上払うことがないが、日本では23万円払った上に、授業料などのカネも別に取られる。日本の方がいっそう高負担である。
実はこれらの費用について1年前のブログに書かなかったのは、ひょっとすると23万円の中にすでに授業料等が含まれているかもしれず、不正確をおそれて書かなかったのである。今回
会計検査院のページ(2.の第三)をみて、23万円に含まれていないことを確認したから書いたのである。
もう一度言う。日本では、これらの費用は税金などの負担である23万円に含まれておらず、それとは別に支払う必要がある。批判者はただ単に事実誤認をしているだけと思われる。
批判の第3点・・・国債は負担の先送り 国債を勘定に入れると、もっと負担率は上がる。私は日本では23万円取られると言った。それに加えて国債を発行していると、それは徴税の先送りとなる。
批判者は、国債といっても、日本の場合外国から借金していない、国内で消化されているから、いわば家族内で貸し借りしているようなものである、という。
私がこの主張を最初に知ったのは、80年代なかばで、確か野口悠紀夫さんが70年代後半、雑誌に連載されていたのを古本屋で探して読んだ覚えがある。これを知って何でも切れるナイフを手に入れたような気になったが、批判者もそういう気持ちでおられるのだろう。残念である。日本が国家破産するかどうかという話の時にはこの議論は有効である。しかし、今回の話には使えない。
日本の国債発行、たしかにこの借金における金銭は国内で移動する。国内が理由で負担とならないなら、徴税は国内における金銭の移動だから、国民負担はゼロか。また、徴税をゼロにして100%国債でやりくりしたら、いまの徴税がゼロだから国民負担ゼロの政府ができあがるのか。国債か税金かは、負担が現実化するのが今かあとかだけの差である。国債負担が将来の徴税であること自体は
会計検査院のページ(2.の第一)でも問題にされているので読んでみられればどうだろうか。
このことは、批判者のブログのコメントに「書を守るもの」という方から、「国民に借金を返すときの財源は何かが問われるでしょう」ときわめて正当な疑問が出されている。
批判の第4点・・・展望が感じられない? 批判者はいう。
『「日本は高負担国家だ」という主張には、未来へ向けた展望など、「ひとかけら」も感じられないのだ』
なるほど。だがフランス革命は、負担に怒った民衆が起こしたのではないのか。
ルソーのような先駆的な思想があったというかもしれないが、そういう指導者たちは「おまえらの言っていることには未来に向けた展望などひとかけらもない」などといっただろうか。そういう人々の怒りが、こんな奴らに税金を払いたくない、自分たちの政府が欲しい、と広がっていった、これがフランス革命だったのではないのか。
「感じられない」のが私の主張の問題なのか自分の感性の問題なのか、再度検討してみられてはいかがだろうか。
なお、批判者は、自分の主張はブログ内の別記事にあるという。ひょっとすると、私のブログのほかの記事にその主張があるかもしれない、と思わないのだろうか。私のブログ内で、スウェーデンや小さな政府で検索すればいくらでも出てくる。
今回でこの話はやめにしたい。私の書いていることは、リンク先をみればわかるが、多くの学者が問題点としてすでに指摘している、枯れた論点である。それをどう解決するかの話ならまだしも、それらの論点が存在しない話であるかのように異を唱えるのは無理だろう。
志はすばらしいと思うが、私に議論を挑むより、そういう文献をよく読んで理解された方が早いと思うので、議論するのは無駄な時間である。
その上、国立大学授業料についての話等は、同じことの繰り返しでしかない。議論は気軽にすればよいと思うのだが、全編ミスリーディングの文章を読まされるのはきわめてつらい。
ただ、リベラルがこれでいいのか、という意気込みはすばらしいと思う。私にはないもので、見習いたい。
個人向け国債
国債の話が出たので、我が日本国の国債の過去の歴史をすこし振り返りたい。
60数年前に、愛国国債と言うのがありました。最近始まった「個人向け国債」と同じ様な物のことです。
銀行で買えるだけでなく全国のタバコ屋でも買える。
期末手当の半分が愛国国債〔個人向け国債〕になっていく。
国民に売るだけ売って、最後は貯金封鎖と新円切り替えですべてを国家が猫ババしたのが『個人向け国債』の正体です。
国家でも個人でも、将来借りた金を返す気があるのか、返す気が無いのか、?現在の金の使い方を見ればある程度は予想が付く。
将来において自分の借金を返す気があれば、今ひどい無駄遣いはしない。
今の自民党政府を見ていると、将来返す気がまったく感じられない。
前にもいっぺん踏み倒したが、今度もやっぱり踏み倒す気ですよ。
コメントありがとうございます
そういえばチャップリンも国債の宣伝フィルムに出てましたね。晴耕雨読さんのところに、戦時に増税すると戦争に反対されるので、負担を先送りにするため国債を発行するという話が書かれていますが、そういう点ではいまの政府もよほど悪いことをしているということになるのかもしれません。
それにしてもタバコ屋でも買えるというのはすごいですね。負担の先送りでなくネコババ、そういう手もありますね。もし今の政府が戦時の卑劣さと同じなら、それもありうるでしょう。強烈なインフレか戦争しかないなんて思っているかもしれません。
先日、ネットカフェ難民の番組で、「戦争でもないと今の体制が変わらないでしょう」というヤケクソとも思えるコメントをしている若者がいましたが、そういう人が増えるとあちこちで変な知事が誕生することになるのかもしれません。
高負担の認識は正しい
同じような事を書いた記事をTBしました.
ツァラトストラはこういっているさんは
『日本の政府は「小さすぎる政府」であり、歳入が小さすぎるから歳出(サービス給付)も小さい。そのために社会のさまざまな問題に対応できないことが問題である、と言うべきであろう』
と書いていますが,霞ヶ関の税金収奪システムをご存じないのでしょうかね.
『大きな負担』,『小さな見返り』
その差額はどこへ行ったか?それが収奪システムです.それを見極めないで増税しても砂漠に水をしみこませるようなもの.
向こうで書くべきでしょうが,今回はこちらでのエールに留めておきます.
文献を紹介していただけませんか?
「全編ミスリーディング」というのも手厳しいお言葉です(苦笑)が、こちらのエントリーを拝読させていただいた感じでは、こちらの意見も誤解されてるようで「すれ違っちゃったかなぁ」と思っています。(苦笑)
まぁ、私の表現力やアプローチの仕方(批判する点と方法)にも問題があると思っていますから、一部はそれが原因だと思っておきます。
ところで、「そういう文献をよく読んで理解された方が早いと思う」とのことですが、是非、お勧めの文献を教えてだけませんか?
あと、エントリーに書かれていることで、微妙に疑問があるんですが、「枯れた論点」というのは「日本の税負担は重い」ということでしょうか?財政学や経済学で重税国家だと言いきる人は見たことないなぁ、と思いまして。代表的な論客とかいれば、是非教えていただきたいです。
さて、全然関係ないんですが、税についての議論になると、税には反対給付の請求権がないという原則があるのですが、それが見事なまでに忘れ去られた議論が横行するなぁ、という印象を強く受けます。
税について健全な議論というのは、なかなか庶民の間では難しいのかもしれませんね、なんてことを最近思います。(ちょっと悲観的)
なお、税の原則については、神野さんの本からこちらに抜粋しておきましたので、興味がある方には目を通していただけたら、と思います。(あと、このエントリーには、私も【単なる否定的な批判者】ではなく、積極的な政策もそれなりに細部に至るまで考えていることもご理解いただける内容かと思いますので、一読いただけるとありがたいです(笑)。)
http://zarathustra.blog55.fc2.com/blog-entry-271.html
コメントありがとうございます
国民主権ではわれわれが主人ですから、使用人のちょろまかしには厳しく対処すべきでしょうね。
>その差額はどこへ行ったか
ほんとです。しゃれにならないですよね。農業の分野なんてもっとすごい。ほとんど全部消えてます。
もうやめましょう
今度は負担概念を混同していると言い出しましたね。心理的負担まで混同している、と。私は負担の概念を一種類しか提示していません。その計算も具体的数字まで入れて明示しています。心理的負担について等一切書いていません。すべてあなたの創作です。個々の家計の話も一切書いていません、すべて話はマクロです。所得分配についても問題にしていません。
私の書いていることを批判する余地はいくらでもあります。例えば、この負担概念ではこういうことを無視しているんじゃないか、とね。私もそうやって財務省の国民負担率を批判しているわけです。ですからあなたは、自分なりの負担概念を対置させて、このほうがより実態に合っているのではないか、と主張すればよく、人のいっていないことを創作してそれを批判するのはやめて欲しいです。それは議論でも何でもありません。表現力やアプローチなんて立派なところで問題になっているのではありません。
あと、疑問にお答えしておきますが、枯れた論点が「日本は重税国家」でないことは文章からわかりませんか?私は「それらの」と書いてますね?つまり複数と言うことです。そういう読解力や足し算引き算、その点が問題なのです。全然財政の議論なんてしてません。
もしあなたの書いていることに同意する人が現れて、その人が実質的な議論を始めたらいつでも議論はその人と再開します、というより望むところです。とりあえず議論のはじめようすらありませんので、これで勘弁してください。コメントもTBも遠慮します。もちろんあなたのブログで何を書かれても結構ですが、私の言っていないことを創作するのはやめてください。ご自分なりに財政の議論をご自分の中だけで整理なさってください。
ツァラトゥストラさんとの議論
議論の再開というご希望には添えませんが、その話を離れて、私はLuxemburgさんのおっしゃる誤解が本当にあるのか、という疑問を持っています。スウェーデンは医療費が無料でも、それは先に政府にいったん預けているからで、逆に日本では政府に預けないで自分で支払う。マクロ的にはそういうやり方の違いにすぎないと認識されていないでしょうか。その部分を度外視すれば、例えば警察や防衛などの負担は日本とスウェーデンでは同程度という認識があり、日本の負担はその面でも軽い、とは一般に認識されていないのではない気がします。
失礼な言い方になるかもしれませんが、Luxemburgさんの議論は数字は正しいのですが「そんなこと実感として分かってたよ」という話に帰着しないでしょうか。
おっしゃるとおりです
確かに、スウェーデンは政府に先に支払って、年金や医療サービスを受ける、日本では支払わないで自分で何とかする、高福祉高負担がスウェーデン、ということになります。
ただ、年金や医療を除いた部分で、「高速道路はただかぁ、しょうがないよな、日本は税金安いんだから」など、社会保障給付以外の部分でも、高福祉高負担という認識があると思います。そこで、ちがうんだ、と。スウェーデンより高い維持費ではるかに悪いサービスしか受けてないんだよ、ということを書いたのが前回のエントリーです。
おっしゃるとおり、ここから言えることは正しいとしてもそれほどのインパクトある話ではありません。特別会計を入れなければ日本のデタラメさは1割も描けていません。
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