最上の帽子は頭にのっていることを忘るるような帽子である。最上の政府は存在を忘るるような政府である。
----徳冨蘆花「謀反論」

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 以前「川辺より」の朱夏さんが記事にしておられた「男脳・女脳」に反応してしまい、みんなでそのテストをやってえらく盛り上がった記憶があるが、今回もまたとむ丸さんのおばちゃん・そして男と女に敏感に反応してしまった。
 今回のテストは簡単。薬指が長い(男性型)か、人差し指が長い(女性型)かということらしいので、一瞬でわかる。私は、はっきりとした女性型。そういえば体毛も薄くて、逆に髪の毛はフサフサ。体は女で心は男? でも、体は男でネットでは女、よりマシか。  もちろん私は男女が同じと思っているわけではないので、このあたりの遊びには抵抗はない。相当昔だがイリイチのジェンダー論を読んでから、特に男女の性差自体は無視できないほど大きいと思うようになった。ただ、今の男女のあり方は、本来持つ性差(ジェンダー)と、社会的に作られ都合よく利用された性差(セックス)が混在した不純物混じりの性差が多いうえに、個体差に過ぎないものを無理に性差と断定していることもあるだろうから、そのままそれが本来の性差であると受け入れることはできない。
 いろんな決定をする際も、とりあえず男女は全く同じと考えてみて、どうしても違いが出るところだけ受け入れる、というのがよいような気がする。その場合、特性に合わせた部門に割り振るとしても、それは性差というより個体差と考えておくべきだろう。最終的に、振り返ってみたら、確かにこちらの部門に女性が多いかも・・・くらいの話で、別にそれとて固定的なものではない、こんな程度である。

 遊びで抵抗があるとすれば、ミスコン。女性がこれに反対すると、一定の反応を返す人がいるようなので、男こそいわなければと思う。まあ、たかが遊びじゃない、女性だって喜んでやってるじゃない、といわれるかもしれないが、別に私は舞台で競りにかけられる商品が被害者だと主張しているわけではない。また、外見だけじゃなくて知性やユーモアも審査の対象になる、などといわれると、余計に虫酸が走る。それにユーモアといったって、男性審査員に対して上野千鶴子さんのようなユーモアを返したら即失格だろう。

 私はバレエ(を見るのが)好きで、とくにルシア・ラカッラというバレリーナが好きだ。とくに手首から指先までの表情が美しい。王子に出会った姫が全身で喜びを表現するシーンでは、大きな動作全体が、まるで女性の心を見せる大きな窓を開けてくれたよう。それは、たとえば「巨乳」というモノ、その一点に視線を集中させて女性を感じるのと違って、大きな窓から、外見や肉体の奥にある女性それ自体が表現されているような気にさせてくれる。
 似たようなことをほかに感じたのは、忍ぶなんとかという映画の中で、栗原小巻さんが金持ちの男性に身売り同然で嫁ぐ前に、好きな男性(加藤剛)に自分を捧げたいと彼に会うシーン。その後ベッドシーンがあったかどうか覚えていない。そんなことはどうでもいいと思えるほど、女の人は嬉しいときこういう表情をするのか、と涙ながらに見た。栗原小巻さんの頭蓋骨に乗った皮膚や感覚器官の配置のよさなどではなく、それを通してずっと奥にある女性の心がストレートにこちらの心にまで届く感じがした。女性が自分の意思で生きたい、その願いが痛いほど伝わる。フーリエ(空想的社会主義者。女性の解放度で社会の進歩を計るとした)でなくともそういう社会を望みたくなる。
 比較的最近見た映画では、チャン・イーモウ監督、チャン・ツィイー主演の「初恋の来た道」で、心を込めてご飯を作り、彼を出迎えるシーン。モンペ、オサゲ姿の田舎娘で、私はこの人を別に美人ともかわいいとも思わないが、この表現力にはぐっときた。
 こういう女性が、自分がメッセンジャーとなって表現したいものがあるなら、それを一人でも多くに届けたいと思って商業主義に乗っかったとしてもそれはそんなものだろう。

 しかし、ミスコンは違う。
 うちの犬は、一応純血種とは思われるが、保健所で殺処分直前の子を譲り受けた素性ということもあって、おそらく犬種のスタンダードからみるとずいぶん外れているだろう。ドッグショーの審査基準だと、しっぽがどうで、顔がどうでと細かく決まっているらしいがあまり当てはまらない。その基準で、うちの犬とは似てもにつかない犬がチャンピオンに選ばれているようだ。
「ああチャンピオンですか、よござんしたね。」
「見た目だけで選んでいるんじゃないのよ、人間に対する従順さ、フレンドリーかどうかもチェックされているんだから。」
「なるほどね、犬の知性とユーモアですか、それに順位をね。繁殖好適犬ということですか、それはおめでとう。ただ私が犬と対するときにはそんな情報は雑音に過ぎないから、ひっそりやってね。ところであなた、本当に犬が好きなの?」

コメント

あのぉ・・・

本来持つ性差(ジェンダー)と、社会的に作られ都合よく利用された性差(セックス)

ジェンダーとセックス、逆です。

おおお、水葉さま

水葉さまお久しぶりです。ブログにおじゃまできなくて寂しく思っておりました。

 まあ、言葉の問題といえばそれまでですが・・・。
「ジェンダー」岩波現代選書イヴァン・イリイチ著
女性に対する経済的差別はジェンダーを棄却してセックスを社会的に構成することなしにあり得ない(P11)。
 ジェンダーというのはセックスと異なるだけでなく、はるかにそれ以上のものなのである(P142)
前資本主義社会はジェンダーに立脚している・・・資本主義への移行は、人類学的に言って、ジェンダーの崩壊からセックス体制への堕落と一致する(p383)
等を参考にして書きましたが、もう少しきちんとイリイチに限定して書くべきでした。わかりにくくてすみません

イリイチは、たしか、本来の性差をジェンダーとして、社会的に都合よく作られたものを「経済セックス」と呼んでいたと思いますよ。
ですから私は、luxemburgさんの「セックス」の部分を「経済セックス」と呼び直して読みました。
『経済セックスとジェンダー』が本のタイトルだったと思います。で、あの本の訳は読みにくかった。

えええ~?!

うーん、混乱しています・・・。(@_@)

今、一般的には「ジェンダー」といえば「社会的・文化的な性」のことです。「セックス」はパスポートにも欄があるように「身体的な性」の意味で使われています。(週2回と書いたのは加山雄三でしたっけ?)

本を読んでみるとその辺りの感覚の違いがわかるのかもしれませんね。・・・今はリアルに忙殺されていて、読む時間がないですが。(泣)

読む時間がないくせに、本日注文していた本が届きました。
「性差とは何か ~ジェンダー研究と生物学の対話~」
http://www.viewpro.co.jp/html/sousho14.html

同じようなタイミングで性差のことを考えてたのか~、と思うとちょっと楽しいですね。^^

つらつら考えてみるに、本来の性差であるジェンダーを無視した近代社会の性のあり方を経済セックスと言ったのではなかったかしら。
今更本棚をひっくり返しえさがすのもイヤだし。
と思っていたら、イリイチの訳者山本哲士さんもブログを書いてました。
http://hospitality.jugem.jp/?cid=2
です。

wikiによると

ジェンダーとは
4)社会学者のイヴァン・イリイチの用語で、男女が相互に補完的分業をする本来的な人間関係のあり方。イリイチはその喪失を批判している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェンダー

1974年版の「Masculine/Feminine or Human」というフェミニストの本においては、「生得的なgender」と「学習されたsex role」という現代とは逆の定義がみられている。しかし同著の1978年の版ではこの定義が逆転している。1980年までに、大半のフェミニストはgenderは「社会・文化的に形成された性」を、sexは「生物学的な性」として使用するようになった[3]。このように、社会科学の分野においてジェンダーという用語が社会・文化的性別のこととして用いられ始めたのは比較的最近のことであることが分かる。

・・・わかったような、わからんような。(-_-)ゞ

なるほどなるほど。

水葉さんとは逆の形で、フェミニズムの中でジェンダーとセックスの使い方が逆だな、といつか思った理由がわかりました。

皆様ありがとうございます

とむ丸さん、水葉さんコメントありがとうございます。
 来るとしたらミスコンかと思っていましたが、ここですか。
 水葉さんのおっしゃるとおり、生物学的な性は「セックス」で、その一方で社会的・文化的な側面に着目した性もあります。
 イリイチは、その社会的・文化的な性のうち、前資本主義的なものをジェンダー(本来の社会的・文化的な性のあり方で、自然的な「ヴァナキュラー」なありよう)としています。それに対して資本主義的に形作られたものをセックスとしています。そんな概念に生物学的な「セックス」を使うなよ、といいたくなるところですが、人間が動物とはちがい、文化を形成する生き物のはずなのに、それをぎりぎりまで削り取る近代・現代社会があるわけで、セックスとしたところは妥当な用語かもしれません。
 そういう自然な性差をイリイチは「シャドウ・ワーク」(今手元にないのでうろ覚え)の中で、男女というのは連星のようなものであり、その重心は虚無の宇宙空間である。だから、男女の上位概念である「人間」という概念を想定しないと考えているように思えます。この意味の性差(ジェンダー)は文化的・社会的な動物として本来持つべき性差とも考えられます。
 それに対して、男と女にあるのは生物学的な差に過ぎず、その意味でセックスは異なるとしても、男女は社会的には同じはずである、とユニセックス的に考える見解からは、「人為的」な性差としてジェンダーはときとして攻撃対象となるかもしれません。

なるほどなるほど。

本来の社会的・文化的な性のあり方がある、という発想そのものが、上野千鶴子の攻撃対象になる所以ですね。原書に当たっていないので脊髄反射になっているかも、との自覚ももちつつ、これが今クローズアップされるとヤバイなぁ、と感じます。男女の差違(生物学的性差)は、妊娠出産授乳のみなんですよね。そこを必要以上にクローズアップしてきたのが、これまでの「社会的・文化的性」の考え方で、それは主に男性によってなされています。

妊娠出産授乳中の女性は非力です。だから男が守らなければならない、という発想から来ていると思いますが、今私たちが取り組まなければならないのは、男が守るべきとしてきた妊娠出産授乳中の女性を「社会全体で守っていくシステム」を作ることだと思います。女性がひとりでも安心して子どもを産んで育てられる社会。おそらく過去の村社会ではそれが機能していたと思われますが、地域のコミュニティが希薄になった頃から、母と子どもは「家族内で守るべき」的な発想が生まれた。イリイチの提唱するジェンダー概念は、それを補強するものであると感じられます。

でも、80年代頃を境にジェンダーとセックスの概念が逆転しているというのは面白いですね。第2派フェミニズム世代の私は、ジェンダーフリーバッシングの中でジェンダーを「性差」と捉えるのが不思議でしょうがなかったのですが、とむ丸さんが逆だと思われていたくらいだから、第1派フェミニズム世代は、今と逆の意味で捉えているかもしれませんね。・・・これはなかなか厄介です。

とむ丸師匠

そうですか、とむ丸さんもジェンダーの意味が本来の逆に使われているのがおかしいと思っておられましたか。
 実は、わざわざかっこに入れて、かつイリイチの、と断ってジェンダーとかセックスとか書いたのは、そういう趣旨です。この変化は、意味変化でも逆転でもなく、おそらくジェンダーという概念をこの世界に持ち込んだ本来のイリイチの主張を抹殺するために行われたと思っていまして、問題提起の意味もあって書きました。
 保守派は、男女平等を男女同一(ユニセックス)の主張であり男も立ちションしろといっているかのように攻撃し、自分たちは「自然な」ちがいを認めるジェンダー主義者であるかのように標榜(本当はイリイチの攻撃対象であるセクシスト)し、敵をジェンダーフリーと叫んで攻撃したのではないかと思います。イリイチは昔からあったこういう単純化を排し、自然な違いと作られた性差を区別しようと努力したのでしょうが、ジェンダーの意味が破壊されてまた元の木阿弥に戻ってしまっている、という感じかもしれません。今度はまた手あかを付けられてしまったジェンダーとは違う言葉を持ち出して主張しないとだめかもしれませんが、また意味変化しました、として抹殺される可能性も大きいですね。大体がジェンダーという、イリイチの提起している問題が、彼の他の主張である脱学校化や脱病院化に比べて一見難解だからかもしれません。

水葉さんありがとうございます

この意味変化については私も結構気にしていたので、あえて書いてみたんですが、水葉さんが書いてくださって何となく色々整理がついてきました。書いてよかったし、書いてもらってよかったです。本当にありがとうございます。

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