最上の帽子は頭にのっていることを忘るるような帽子である。最上の政府は存在を忘るるような政府である。
----徳冨蘆花「謀反論」

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 読売新聞の「編集手帳」。下手な文章に底の浅い考察で本当にがっかりさせられる。現代社会では一日に出現する活字の量だけで、昔の人間が一生に目にする文字数を超えるなどと言われることがあるが、これだけ粗製乱造されるようだと、それらが一定の水準を持っているということはありえず、駄文も交じっているだろう。その駄文を名文と称する読売新聞の記事の内容は推して知るべきというところか。
 今回は、親の愛をテーマにしたものである。年配と思われる女性が水仕事をしている写真、その背中を見るような視線に添えられた文章がこれである。

親が子を思う情はいつの世にも、
「永遠の片思い」であるという。
片思いに応えられる年齢になったとき、
親はいない。

墓前にたたずめば人は誰もが、
「ばか野郎」となじってもらいたい
親不幸な息子であり、
娘であろう


 孝行したいときに親はなし、墓に布団は着せられず・・・という、モチーフそのものが、ありふれているというより、陳腐なうえ、無教養で有害である。

 親孝行と言われて思い出すのは、「子供は3歳までにすべて親孝行を終えている」という話だ。冬のおむつ洗いで手にあかぎれができたことも、夜泣きに悩まされたことも吹き飛ぶような子供の笑顔で、親は十分に報われ、応えてもらっている。親の愛は何ら片思いではない。それ以上に何かの見返りを期待した瞬間、それはそもそも親の愛ではなくなる。

 それでも、もし「片思い」に応えたいというなら、応えるべき相手は第一に自分である。つまり、親の愛を受けて立派に育ちました、と見せてやるのが一番の恩返しということだ。
 戦前においても、孝行とは「身体髪膚、これ父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行ひ、名を後世にあげ、以て父母を顕はすは、孝の終りなり」とされた。要するに、両親からもらった体をあえて傷をつけたりしないのが孝行の始まりであり、立派になって父母の名をあげるのが孝行の完成形である。このように、戦前賞揚された儒教においても自分が立派になることが親孝行であり、親に何かを返せというようなことは言っていない。
 それでも気が済まないというのであれば、自分の子供に愛情を注ぐことである。親から大事に育てられた子供はその子供を大事にするだろう。その姿を見れば、親は自分のかけた愛情が無駄でなかったことを知る。親への愛は順に子供へと受け継がれていくのが自然であり、それが命というものなのに、この著者はアホなのか、それとも別の意図があるのか。

 もちろん、別の意図があるのだろう。最近、河本準一というお笑い芸人が、結構稼いでいるくせに親の面倒を見ず、親は生活保護をもらっていた、と非難される事件があった。福祉を切り捨てたい新自由主義者からすると「親の面倒は子供が見ろ、自己責任だ」という話になれば都合がいい。そこで儒教にすらない孝行を広めたいというのが本音だろう。
 さらに、日本語では国は「国家」であり、要するに家である。家制度における親の位置にあるのは国家では天皇であり、親の恩に応えるという発想は国家にとって実に都合がいい。そういう歴史に自覚があるのかないのかわからないが、あるなら悪質な文章であり、ないなら無教養というしかない。
 純粋でパーソナルな親の愛をこんなところに利用しようとは、親の愛に対する冒涜である。よくぞここまで汚してくれたな、と言いたくなる。

 細部を見ていっても、実におかしな文章である。
 まず、言葉遣いの問題だが、いつの世「にも」永遠の片思い、というのがおかしい。いつの世「でも」ではないのか。もしくはいつの世に「おいても」くらいか。
 さらに、内容が事実に反している。片思いに応えられる年齢というが、何歳ぐらいだろうか。それはおそらく、自分自身が親になり、親の愛はこういうものだったのか、と知るときだろうが、その頃は、まだ親は生きているのがほとんどだろう。話をドラマチックにしたかったのだろうが、現実とかけ離れた「名文」などあり得ない。バレバレの特撮やCGで、現実味が感じられない映画を見せられて泣けと言われているようなものである。読んだ瞬間に首を捻りたくなる、馬鹿丸出しの文章だ。
 次の「ばか野郎」がまた実に安っぽい。昔の青春もののドラマでは、大体水戸黄門の印籠が出てくるくらいのタイミングで、先生からの「バカヤロー」が出る。墓前に佇んだ子供が墓に向かって親不孝を詫びるが、答えは返ってこない。せめてバカやろうとなじってくれれば・・・いいたいのだろう。見返りを求めない親の愛に見返りを求めさせ、その愛を貶めたいとすれば、この子供は誤った、独りよがりの観念に苦しんだ上、まだ自分が楽になることだけを考えている。

 バカ野郎は「こんなことにならないように、しっかり親を養え、国に頼るな」という編集手帳の著者であろう。
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