最上の帽子は頭にのっていることを忘るるような帽子である。最上の政府は存在を忘るるような政府である。
----徳冨蘆花「謀反論」

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Under the Sun、護憲派アマゾネス軍団
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 昔から政治家というのはどういうものか、暴言や失言が多い。
 バカヤローと言ったとか言わないとかという上品・下品という程度のことならいざ知らず、その人の人間性や知性を表してしまい、それが政治家としての資質を左右するとなれば、問題にするのは当然だと思う。
 私が思い出すのは、渡辺美智雄(みんなの党代表:渡辺智美の父)が窯洞(ヤオトン:中国の山岳地帯の横穴式住居)を指して、中国は政治が悪いからあんなところに住む人がいる、と言って問題視された一件。
 彼は国際問題になる前に言い訳をして、いや中国の政治が悪いと言ったのではなく、日本の政治がいいと言ったのだ、と言ったが。それが言い訳になると思えるレベルにあきれた。野党に投票するのは、毛バリに引っかかる魚と同じで知能指数が低い、と言ったほどの人なのに、彼になら知能指数が低いと言われた方が安心かもしれないと感じたものである。
 しかし、知能がどうとかでなく、私が一番問題にするのは、他国をおとしめるようなことをいった点である。今問題になっている石破も、イラクへの自衛隊派遣を批判されて、「フランスがほんとうに安全できれいな水を供給しているとは認識していない」などと言った。口からでまかせに他人の悪口を言って逃れようとする卑劣さもさることながら、何も日本人を嫌われ者にすることはない。
 その石破はかつて警察や軍隊を暴力装置といったわけだが、なぜか問題にされなかった。ところが今回、仙石が自衛隊を指して暴力装置と言ったのも同じなのに、批判の対象となるのは何なのか。
 石破は、自分の発言は日本の自衛隊を名指しで言ったのではなく、一般的に警察や軍隊の話をした、と言い訳しているらしいが、これまた知能指数問題が浮上しそうだ。
 元々国家が暴力装置を持っているのは、政治学の定義上当たり前のことで、警官が拳銃を持っているようなものだ。警官が拳銃を持つような存在だからこそ、その組織のあり方を議論すべきだし、警官自身の心構えも大事だ、という話になる。それは政治学のスタートであって、別にそれ自体として悪口でもなければ色がついた話でもない。
 ところが、石破は、特定の誰それを指したのではなく、一般論だよ、と言い訳しているのだから、「悪口」と認識していることを暴露してしまい、結局この議論を何ら理解していないことがばれてしまった。



 Gewaltというドイツ語は、ゲバ棒などと言われるとおり、日本では「暴力」と訳されてきたが、たとえば行政権というときの、「権」はGewaltである。ここでは日本語の「暴力」の語感に含まれる、「非合法」の意味はない。この言葉を使ってできるだけ悪口にしたい人たちが「暴力革命」という訳語を好んで使い、違法な集団とレッテル貼りに使ってきたに過ぎない。普通の言葉にまで色をつけてみているうちに、まともにものが見られなくなった人が、意味も知らず、勉強しようともしないで言葉尻だけをとらえてネタにする。これこそ、まさにあなたたちが思うところの「暴力」そのものではないのだろうか。


註:イラクへの自衛隊派遣とそれへの批判


 2003年日本が初めて軍隊を海外に出したが、政府は給水などの復興支援活動であるとした。
 しかし、給水などというのは強弁に過ぎず、もし給水だとしたら、400億円かけて1.6万人分の給水というのは効率が悪すぎるのではないか、フランスのNGOは6000万円ほどで10万人に給水していると批判された。
 その後、自衛隊は現地のレジスタンスに悩まされることになり、最終的に35人の死者を出しているが、おそらく戸外での給水活動が継続できなくなったものと思われ、給水は批判対象であったはずのフランスのNGOに丸投げされた。
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