最上の帽子は頭にのっていることを忘るるような帽子である。最上の政府は存在を忘るるような政府である。
----徳冨蘆花「謀反論」

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 自民党は今回の選挙について政治はギャンブルではない、と言った。
 絶望の淵に落ちた人間が目の前の宝くじに手を伸ばそうとしたとして、その絶望の淵に落とした側の人間が「人生はギャンブルじゃないんだよ」と平然と言いのける神経には唖然としたものだが、政治がギャンブルでないこと自体はまさにそのとおりである。ただ、政治とは決断であることを甘く見た自民党が、その国民の決断をまるで遊びのように表現したことはいっそう自らの傷を深くした。

 さて、そのギャンブルはもう終わった話なのでどうこういっても仕方がないが、これからの実際の政治課題として「官僚支配の打破」などの言葉が新聞紙面に踊る。そういう話は勇ましくて目を引くが、官僚支配とはいったいどういう状態をいうのか。官僚の上司は政治家であるはずなのに、どうして官僚支配ということがあるのか、仮にあるとして、なにが問題なのか。そういうことも明らかにせず、官僚が悪役、政治家がヒーロー役に仕立て上げたプロレスを興行にして、それを中継するかのように演出し、部数や視聴率を伸ばそうとしているように見えて仕方がない。マスコミだけではない。それに乗っかるように霞ヶ関に対してむちゃくちゃやってくれ、というようにプロレスにお笑いを加えようとする知事まで現れる始末だ。
 アンパンマンは、戦争の飢餓を経験した作者が文字通り身を削ってでもまず食べさせることで人を救おう、という発想から生まれたヒーローだというが、それだけではあっさりしすぎているのか人気が出なかったので、バイキンマンという「悪」を仕立て上げ、その悪との戦いを描くことによって人気が爆発したという。漫画やアニメはそれ自体が興業で、そのほうが面白ければそれでかまわないし、その結果、身を削ってでも人に食べさせるアンパンマンの姿が広まるならむしろやるべきである。
 しかし、政治は違う。パンとサーカスを提供するにしても、パンをサーカスにしてはならない。官僚が悪であって、政治家を篭絡する、そして官僚の意のままに政治を操る。そういうバイキンマンを作り上げては興行仕立てにするマスコミもまた背に腹をかえられぬ人々であり、そんなマスコミにしたのが国民自体であることを忘れてマス「ゴミ」などといいたくない。国民は自分に見合った新聞しか持つことができないというジェファーソンの言葉はそのまま私たち自身に向けられるはずだ。

 マスコミと同様に政治家も人の子である。官僚の作文なしには何の答弁もできない、解答書を見なければ授業ができないいんちき先生政治家をなぜ選んだのか、当の政治家自身が、どうしてこの味を覚えさせたんだ、と国民を恨みたくなるかもしれない。だが、一度覚えた蜜の味を忘れろというほうが無理であり、国民自身がだらだらと続けさせる限り自分からやめることなどできるはずがない。それが自民党支配だった。
 その政治家を支えなければならない官僚も人の子である。何の能力も資格もない人間が「選良」とされて祭り上げられても、それが国民の選択であり、表向き逆らうことはできない。そのみこしを担ぐために、ペコペコしながらご説明申し上げるだけでなく、毎晩徹夜に近い残業でカンニングペーパーを用意してやり、漢字にルビまで振ってやらなければならない、その不条理に耐えながら、自分にとって有利な仕込みをするなというほうが無理である。

 ここまでくると、シッポを追いかける犬のように政治家が低能なのは国民のせい、官僚が悪質なのは政治家のせい、マスコミが堕落しているのは官僚のせい、国民が目覚めないのはマスコミのせい・・・となる。だが、140年ぶりに抜けるひとつのきっかけをつかんだ。民主党政権は、官僚の作文なしで答弁できない大臣は要らない、という。それなら官僚もホッとするだろう。「そうだよ、自分で考えて答えろ、バカ」というのが正直なところではないか。一向に何も覚えないバカの家庭教師役から解放されてやっと自分の仕事ができる。国民の政治家がきちんと自分で勉強するのを見張る、これが今後の国民の仕事であり、ありもしない官僚と政治家のプロレス中継を楽しむ観客の役回りが与えられているのではない。プロレス中継で名を成したアナウンサーは、いまだに政治をプロレスにしたくて仕方がないらしいが、いままではこれが「国民に見合った新聞」の姿だったのかもしれない。

 「官僚支配」はある。しかも、140年間続いている。しかし、どういう形でそれがあるのか、そしてなぜあるのか。それをは私たちの中ではないのか。本来国民が一番えらいはずなのに、政治家に対してきちんとしたチェックをしないで「誰が政治をやったって同じ」「あんな漢字も読めないの」というレベルで政治不信を増幅させてきた私たちが結局政治の力を弱め、決断を遅らせ、私たちの心の鏡のように官僚支配を作り出してきた。だから外にある戦いではなく、自分たち自身との戦いなのではないか。



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