あなたは家のすぐそばに原発があっても平気だろうか?過疎地に押し付けているから「100%安全なものなどこの世にはない」などと知ったようなことをいっていられるのではないだろうか。
美里様のコメントに、柏崎近くに釣りに行っていた人が地震に驚いて、ふと原発の方を見たら、黒い煙が上がっていた、というものがあった。世界最大級の原発が身近にあって、地震のあと、煙を上げている・・・。
実際に、マグニチュード6.8という決して大きくない地震で放射能が漏れたのだ。もうやめよう。原発はやめよう。電力会社も保安院も政府も信用できない。
何の展望もないくせにうそで塗り固め、都合の悪いことは先送りにして子供たちの世代に付けを回す。それが美しい国だと思っているような人たちが政治家である限り、どんどんこの国はだめになっていく。
◆ 電気の3分の1は原子力? それでも「でも電力の3分の1が原子力なんだから止められないんじゃないの」という疑問もあるかもしれない。しかし簡単に止められる。明日全部の原発を止めてもわれわれは一切困らない。実は、この3分の1というのはわざとほかの発電所を止めて作り出した、いわば架空の数字だ。明日、簡単に原子力0にすることもできる。そしてわれわれは一切困らない。「原子力発電所を止めると、ろうそくの生活」という初歩的な脅しに乗る必要はない。
まず、長期停止中の火力発電所を動かすことによって、簡単に必要な電力はまかなえる。さらに、コストも安いのだから、比較的二酸化炭素の出ないガス発電などの発電所を少し増やすだけでよい。原子力の予算をそちらに回せば、何の問題もない。
さらにごみ焼き発電がある。ごみ焼却炉で出る熱を、捨てないで発電に使う。こんないい話がなぜ実現しなかったのかというと、電気事業法(近時だんだんに変わってきている)で事実上電力会社以外が電気を作って売ることを禁じてきたからである。原子力の予算をこちらに回して、比較的高くごみ焼き発電の電力を買い上げてあげればよい。そして、地域の住民に売る。東京電力は自前で電気を起こすより、こういう調整役に徹するようにすればよい。
さらに多くの工場では、もはやガスによる自家発電のほうが安いことをよく知っている。余剰電力が出れば、同様に地域の住民に売ればよい。
◆ 原子力は原始力である 火をたいて、その熱で蒸気を作り、その蒸気の力を使う外燃機関は、21世紀の科学からすればアホ丸出しの技術であり、産業革命を最先端といっていた人間から何百年も進歩していない。原子力を推進したがる人の頭の中は原始力でいっぱいである。
高速増殖炉もプルサーマルも行き詰った現在、ウランの湯沸かし器は、最悪の効率とゴミ生産とカネくいだけが取り柄の、希望だけを抜き去ったパンドラの箱のようなものである。採掘の段階から放射能のゴミを排出し、採掘している人たちにも深刻な影響をもたらし、そのゴミをどうしていいのかわからないため、戦争国家が戦争に名を借りて罪もない人々のところに打ち込んで捨てている(劣化ウラン弾)。発電で出たゴミももはや他国は一万年以上もにおい続けるフンとあきらめて、地下深くに埋めるしかないと考えている。日本は、まだ取り出したプルトニウムの使い道を信じて再処理しようとしているが、残念ながら今のところ核兵器を作る以外に使い道はなく、再処理はただのフンころがしに過ぎない。
そういう状況でウラン発電をし続けてもおそらく石油より先になくなるだろう。
ところが石油や天然ガスだけでもはるかに原子力より未来がある。それらの発電はエンジンのような燃やし方をする内燃機関を作ることが可能であり、コンパクトでしかも廃熱で水を熱すること(コジェネ)も可能である。
企業で、地域で、公共機関でこれらを採用することによって、さらに余剰電力を有利に売れるようにしてあげるだけで、東京電力は発電をしなくてよくなっていくだろう。インフラを整備し、余剰電力のやり取りをする商社のような組織になればいいのだ。
◆ 流れ込み水力発電も魅力的 地方で行うべきなのは、流れ込み水力発電である。水力発電というと巨大なダムを作って村を水底に沈めて景観を壊す巨大利権事業と思われがちだが(それも事実だが)、景観を大きく変えることなく自然の流れ、高低差を利用して行うきわめて低コストの流れ込み式水力発電がある。険しい渓谷を持つ日本にはぴったりの発電方法であり、多くの地域はエネルギーで自立する。場合によってはそういう居住条件の悪い市町村が近隣の自治体に電気を売って儲けることもできる。
エネルギー中央集権を脱する
東京電力が狙うのは巨大な独占電力会社が、電気だけに依存する無力な国民を作っていき、東京電力の言うことを聞かなければ生活できないようにし、文句を言わせない、そういうエネルギー中央集権主義、というより専制主義である。
私が今まで書いてきたのは、必要な分をできるだけその地域の特性に合わせて作る、エネルギー分権主義である。自分は湯水のように電気を使いながら、はるか遠くの知らない人たちを恐怖のどん底に陥れ、「多少のリスクはつきものなんだよ」と無責任なことを言う。地方の自立をこんなところから問い直していけば、こんなに自分勝手な人たちの国は生まれ変わることができる。
私は原発のことよくわからないんですけど、ちょっと調べてみたら、原発が有用だとしても、電気の3分の1も必要なのかということに疑問が出てきました…それを記事にしましたのでTBしました
監視するはずの所轄組織の名称が規制委員会や監視会議、危機管理、危険防止委員会ではなくやっぱり安全・保安院。
日本で名前に『安全』と付いているもので本当に安全なものは一つも無い。
たいがいは危険。
安全かみそり、安全ピン、安全ベルトなど思いつくだけでも危険がいっぱいの物ばかり。
安全・保安院も例外ではない。
本当の安全を確保する為には、まず危険を認識すること。危険の認識なしの安全安全の連呼は危険危険としか聞こえない。
この危機管理のイロハを無視するようでは原発を管理する資格は無い。
はじめまして
ほんとに、本気でエネルギー問題、環境問題に取り組んで欲しいものですよね!
TBさせて頂きます。
チョルノブィリの場合は
注:チョルノブィリはウクライナ語で,チェルノブィリがロシア語.現地ではウクライナ語で呼ばれていたことも日本人はほとんど知らない.
旧ソ連=ロシアの技術力をバカにすることが目的のマスコミ報道に踊らされた結果が,今回の原発直下型活断層地震のなれの果てでしょうね(笑)
みなさんのコメントを拝見していても、事実はどうなのか、まずはそこをしっかりと押さえていくことが現在最も必要なことなのだとあらためて感じました。
すばらしい
トイレのないマンション
そうでしたね
いくらでも方法が
太陽光発電にちょっと取り組むだけで、原子力の必要性などは吹っ飛びますね。真夏のカンカン照りのときに一番働きますから。
さらに、あまり踏み込みませんでしたが、本当はライフスタイルの問題も考えるべきでしょうね。一番暑い時期に、電車で何時間もかけて通勤し、ただでさえ暑くなっている東京で冷房をがんがんにかけ、さらに周りを暑くするから、もっと電力を使ってオフィスを冷やす。よその国の人は海や山でゆったり過ごしているときにそうしてまで仕事する、その生活がおかしいんじゃないか、というところまで考えていくべきでしょう。
チェルノブイリ
チェルノブイリは、日本が見本としていた原発のひとつでしたが事故が起こったとたんに手のひらを返したようになってしまうのは、改革の象徴ホリエモンに対する態度に似ていますね。以下に政治家がものを考えていないか、ということなのかもしれません。
波動さまこんばんは
TB代わりに・・・
コメント欄TB(?)です。
「とくらさんにTBを送ろう!」
http://kihachin.net/klog/archives/2007/07/tokura_tb.html
風評被害なのでしょうか
新潟中越沖地震では柏崎の原子力発電所のことが連日報道され、コメンテーターや司会者が「近隣住民の方は不安に感じるかもしれないが、耐震構造はしっかりしているし、あれだけの地震なのでちょっとしたトラブルは仕方がない。不安を煽ることによっての風評被害が懸念される。」と話していました。
原子力発電所のことがちゃんとわからない時点で風評被害という発言は適切ではないと思います。
本当に電力が生産出来なくなるのであれば、オイルショックの時のように、テレビ放送の放映時間を短くするなどの対策をして、消費電力を減らす努力をしたらいいと思います。
風評被害を受けている人に失礼
そのイメージを原子力を推進する側が使うというのはなんだかネット右翼が落書き以下の書き込みを消されて「言論弾圧だ」などと言っているのと同程度ですね。
原子力の場合、隠していた事実がどんどん明らかになってきているわけですから、風評被害のように「事実と違ううわさを流された」などとはいえません。
まずは建築工学を学ばれては?
私はたまたま数学と物理が得意だったためか,高校に入ると親父から大学の数学と物理と建設工学の教科書を渡されて,一応基本的な図面を描いたり,構造計算をプログラム電卓に入れて計算結果をプリントアウトしたりして小遣いを稼いでいました.おかげで大学1年の図学演習で,教官に「君は一度工学部を出て来たのか」と言われたり.
結局,私は建築学へは進みませんでしたけど,原発を設計した経験のある親父との会話では「あれを風評被害と言うなんて,無知な事務屋だよね」「元々チェルノブイリ型原発と同じだけ鉄筋を入れろと命令したのはどこのどいつだってんだ」と,罵詈雑言のくり返し.
専門家でさえ呆れているのですから,「隠されていた事実が明らかにされてきた」ことの方が重要だと考えませんか? 皆さん,余りにも「テレビ漬け」すぎです.
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